Re:Inkビジネスカテゴリー第2回に登場していただくのは、IT企業のスパークジャパン株式会社の代表取締役社長、岡田憲明(おかだのりあき)さん。今回の企画では岡田社長の生い立ちから現在に至るまでを年表形式でご紹介。そのなかでも、とても濃い時間を過ごしたその5年間をフューチャーし、岡田社長の人生観や職業観に触れます。(3回に分けて紹介します)
―――前回登場した株式会社宮崎南印刷の大迫雅浩社長より「宮崎でやりたい仕事はできていますか」との質問をいただいています。いかがでしょうか。
岡田社長)地方が元気にならないと日本が元気にならないと考えています。そういった意味では地方都市のひとつであるこの宮崎で、ITを活用した企業発展のお手伝いをさせていただいていると自負していますので、やりたいことはできていますね。ただ満足はしていませんよ。
―――19歳で車検代行業を創業しています。経営者への興味はありましたか。
岡田社長)興味はあったと思います。というか、僕は父がメガネ店を個人経営している家庭に生まれたため、大人は公務員以外、全員商売をやっていると思っていました(笑)。決して裕福ではありませんでしたよ。子どものころに贅沢なものを買ってもらったり、旅行にどこか連れて行ってもらったりした記憶がないんです。だから、欲しいものを手に入れるには自分でやるしかないんだなって昔から思っていました。その家庭環境の影響が、創業の根幹にありますね。
―――具体的に教えていただけますか。
岡田社長)大学2年生のときに、保有していた中古車の車検が来て整備工場から「14万円ぐらいかかる」と言われました。「(費用が)結構高いな」と思い、自ら整備した車を陸運支局に運び込むと、なんと5万8000円で済んだんです。この頃はガソリンスタンドでバイトしていたため簡単な車の整備も自分でできていました。自分でつかんだ形ですよね。それを周囲の友達に自慢したら次々に依頼が舞い込み、頻繁に足を運んでいた陸運支局で業者登録を促され、結果的に車検代行業を開業させ「商売」になりました。
―――友達の車検の依頼を断ることもできたんじゃないですか。
岡田社長)僕の商売への考え方は「人の役に立つこと」、ひいては「ありがとうの交換」なんです。これも父の背中を見て学んだことですね。父はお金をいただくときに当然「ありがとうございます」と言っていたわけですが、お客さんも「見えるようになったよ、ありがとう!」と返す姿が日常的にありました。そういう感謝の気持ちであふれているのが商売の仕組みなんだろうなと感じました。それが頭に焼き付いていたので車検の依頼も断ることはなく、「商売」になった
。その考えは今も変わらず、原点ですね。やはり父の影響は大きいですね。
「煌めき、活性を日本に与える存在に」
次回、スパークジャパン創業!次回は8月1日の更新になります。
文:小野友貴人 写真:田部祐徳
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岡田憲明
宮崎市出身。宮崎大学附属小ー宮崎大学附属中ー宮崎大宮高ー宮崎大学工学部電気電子工学科卒。大学2年次に車検代行業を始め、翌年の大学3年次には中古車販売業「オカダオート」を開業。2年足らずで閉鎖となるも、大学の研究室で出会ったコンピューターやインターネットに魅了されて猛勉強し、23歳でIT企業「スパークジャパン」を創業。同社は2001年に株式会社化され、2016年の宮崎県成長期待企業、2017年の経済産業省地域未来けん引企業に認定されるなど着実に成長を続ける。趣味はゴルフ。体を動かすことが大好きで、野球、サーフィン、トライアスロンなどあらゆるスポーツに触れてきた。最近は小学生の長男の影響で剣道にはまり、初段も取得。48歳。