BUSINESS

2022.10.28

3億円の借金から始まった社長業 V字回復のきっかけは「盛和塾」

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Re:Inkビジネスカテゴリー第3回の登場者は、国富町と綾町に社屋を構える1930年創業の食品メーカー「大山食品株式会社」の4代目社長、大山憲一郎さん。お酢づくりから始まった同社の長男として生まれ、どのような道を歩まれてきたのでしょうか。大山さんの人生を、年表を示しながら2回に分けて紹介。(年表は公式SNSにて掲載中です)前編では、二つある転機の一つ、同社が推進する「食こそいのち 循環の輪」構想を固めたきっかけなどについて話していただきました。後編でも、もう一つの転機「盛和塾との出会い」について語っていただいています。(年表は公式SNSにて掲載中です)

―――2006年、39歳のときに4代目社長に就任しています。以後、順風満帆な社長人生でしょうか。

大山社長)

 とんでもありません。僕が社長になる少し前ぐらいから、長年続いていた「お酢ドリンクブーム」に陰りが見え始めました。それまでの大山食品は「お酢ブーム」という追い風もあって絶好調。やることなすことすべてがうまくいき、商品が次々にヒットしていました。今思えば天狗になっていたんでしょうね。ブームが終焉に向かっているとも露知らず、社長になったときに「株を買い取ってください」という株主さんの要望を受け入れ、周りに反対されながらもすべて買い取りました。銀行から3億円の融資を受けて。

するとどうでしょう。それまでは無借金経営でしたが、3億円の借金ができた途端、業績がどんどん落ちていき、それからずっと赤字。やることなすこと全くうまくいかなくなり、25人ぐらいいた従業員の半分ぐらいが、辞めていきました。

―――瞬く間に転げ落ちていった感じですね。

大山社長)

 明日までに銀行に返さなければいけないお金がなくて、友達や知り合い、親戚を頼ってとりあえず工面していった時期もありました。大変でしたね。銀行にお金を返さないと倒産するから、お金集めが仕事みたいになっていました。今考えると綱渡りでしたね。

―――想像するだけでも恐ろしいです。そこからどうやって盛り返したのでしょうか。

大山社長)

 社長になって1年ぐらいたった頃ですかね。普段はテレビを見ませんが、たまたま付けたテレビに稲盛和夫さん(現京セラの創業者)が出ていました。当時は稲盛さんのことは名前ぐらいしか知らなかったのですが、経営のことを話していてつい聞き入ってしまいました。アメーバ経営(部門別採算)のことについて解説していたと思うのですが、「あっこれいいなあ」と直感で思いました。翌日に京都にあるKCCSという京セラのコンサルティング系の会社とコンタクトを取り、KCCSのアメーバ経営を導入しました。部門別採算が分かり始め、部門によって「これは残す、これはやめる」というのを実践するようになりました。売り上げは下がりましたが、利益はじわじわ増えていきました。

ちょうどこの頃、債務超過で3ヶ月に1度バンクミーティングを行っており、資金繰りも含めて経営状況を3ヶ月ごとに報告していました。それも結果的に勉強になりましたね。

―――コンサルティングの力で業績が回復したということですか。

大山社長)

 もちろんそれもありますが、2009年に稲盛さんが主宰する「盛和塾」に入ったことが大きいですかね。稲盛さんが言うには「経常利益10%以下はどんな業種でも例外なくやめた方がいい。経常利益10%以下というのは経営ではない」ということでした。それを最初聞いたときは驚きましたね。そのような数字は酢ブームの頃は出していましたが、この頃はとても考えられない状況でしたので。15%をとりあえず目標にした方がいいということでしたので、15%を目標に本気で勉強し実践した結果、5年目にその目標を達成しました。右肩下がりだった業績も底を打ち、やっと黒字化できて今も維持できています。おかげさまで借金も残り10分の1程度になりました。もう借金はしないと決めています、お金を返す大変さを身に染みて感じましたから(笑)。

―――人生を変える出会いですね。しかし、業績がV字回復できた要因の一つには、大山社長の行動力も大きいですね。稲盛さんをテレビで見た翌日に、関連会社にコンタクト取るとか。

大山社長)

 思い立ったら即行動ではないですが、昔からそういう節はありますね。挑戦やチャレンジャーといった言葉が好きで、私自身意識している部分でもあります。とにかくいろんな事業やイベントを興してきましたね。例えば1995年からは音楽イベントを地元国富で音楽好きな仲間と開催しています。劇団も仲間と2017年に設立しました。会社の事業で言いますと、2008年からどぶろく造り、2017年からリキュール製造を開始。また、2020年にはバー「OSUDERITA」、2021年には餃子の無人直売店を開所させています。結構思いつきのように思われがちですが、自分の中では思いつきではなくて、すべての点が線につながっているんですよ。社業で始めた事業はすべて、前編でも話しました「食こそいのち 循環の輪」構想の一部になりますしね。

―――大山社長の人生にはすごく「ワクワク」を感じます。

大山社長)

 周囲に恵まれているのでやりたいことができているのだと思います。ただ、周りはすごく迷惑でしょうけど(笑)。好きで何かを始めますが、3〜5年で他の人にやってもらうので。自分でも最初は「それはどうなのかな」と思っていましたが、今はそういう役割かなと割り切ってスタートさせています。物事をスタートさせるのは結構簡単なんですよね、一番大変なのは継続。だから引き継いでいる社員や仲間がすごいですよね、感謝しかないです。

―――8年後には創業100周年を迎えます。また何か新しいことを始めるのでしょうか。最後にそれに向けた展望をお願いします。

大山社長)

「食こそいのち 循環の輪」構想はまだ、実行段階には至っていません。もちろん「点」では動いていますが、塩づくり事業がスタートしていなかったりなど、まだ「輪」にはなっていません。だから8年後には完ぺきな輪となって、消費者の皆さんにおいしくて体に良いものを届けられる体制が整っているよう頑張りたいですね。

 そして、お客さんから支持されるような会社であり、社員さんが働きたいと思ってくれる会社となり、100年と限らず、ずっと継続していく会社や愛される商品を目指したいですね。

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大山憲一郎

1967年、国富町出身。本庄中-宮崎大宮高-東京農業大学農学部醸造科を卒業後、西ドイツのワイン協同組合で1年間の研修を受けて、1991年に家業の大山食品株式会社に入社。2004年に農業や酒造りの修行のために一時退職するも、2006年に復職して以来現職を務める。日本酒、音楽、モーターサイクル、映画、読書と多趣味で、「趣味も仕事にすれば大手を振ってできる」と、一番の夢である日本酒造りを事業化するために奔走中。「将来はバイクや車も仕事にしたいですね」と企図する。

LINKhttps://www.ohyamafoods.co.jp/

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