Re:Inkビジネスカテゴリー第2回に登場していただいているのは、IT企業のスパークジャパン株式会社の創業者で代表取締役社長の岡田憲明(おかだのりあき)さん。特に濃い時間を過ごしたという19歳~23歳をフューチャーし、3回に分けて職業観や人生観を紹介しています。前編では岡田社長の生い立ちや商売への考え方を掲載。中編となる今回は、ついにスパークジャパン株式会社の立ち上げストーリーに迫ります。
―――スパークジャパン株式会社の創業のきっかけを教えてください。
岡田社長)実は僕、今の会社を創業する前に中古車販売業もやっていたんです。ガソリンスタンドのアルバイトでダンプカーを見かけ、「こんな車に乗る仕事をしたいな」と大型免許を取得、21歳のときに家の解体業のバイトも始めました。そのうち「ダンプカーを持ちたい」と思うようになり、お金を生み出す方法を模索していたんです。そんなとき、30万円ぐらいで買った中古車のスープラ(その後、整備費用に20万円ぐらいかけた)をたまたま後輩が90万円で買ってくれました。これだと思いました。これを繰り返せば、夢が叶うと。だから、中古車販売業「オカダオート」を始めました。最初はノウハウもなく大変だったんですが、中古車屋をやっている1個上の先輩と出会い、そこでいろいろ勉強させてもらって少しずつ軌道に乗り始めました。そんな矢先、お店に来た先物取引の営業マンの話に乗り、大損したんです。当時はとても忙しかったため、どうにかしてラクして儲けたいという気持ちがどこかにありました。さまざまな銘柄を試していったんですが、うまくいかず。中古車屋に並べていた10台ぐらいを一気に売り払ってその損失を埋めることになり、それで車屋への情熱も失ってしまいました。このころ僕は大学5年目。卒業研究のために研究室に入ったんですが、そこでコンピューターに出会うんです。
―――つまりは、創業のきっかけは中古車屋の廃業と卒業研究ということですか。
岡田社長)いや、それはちょっと違いますね。ちょうどこのころ、沖縄に住む高校時代の同級生がコンピューター会社でアルバイトをしていて、インターネットのすごさを熱弁していたんです。「アメリカの人にだってものの1秒で通信ができるんだぞ」って。そういったタイミングも重なり、「これはまた自分が人の役に立てる要素を持っているのではないか」と研究室に入り浸り、卒業研究そっちのけでコンピューターの世界を猛勉強しました。そして1997年7月、23歳のときに1人でスパークジャパンを創業しました。研究室で使用していたサーバーが「スパークステーション」という名前で、いろいろ調べてみるとスパークには「煌めき、活性化」という意味もあり、「日本にそういうものを与える存在になりたい」とスパークジャパンと命名しました。創業時の事業は、HP作成やPCサポート、ソフト開発、LAN構築などで、今のスパークジャパンの事業とほとんど変わりません。そこから、合資会社、有限会社、株式会社と少しずつ大きくしていきました。
「最悪の想定の上にポジティブが成り立っているイメージ」
最終回は、岡田社長の価値観や宮崎への思いに迫ります。
文:小野友貴人 写真:田部祐徳
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岡田憲明
宮崎市出身。宮崎大学附属小ー宮崎大学附属中ー宮崎大宮高ー宮崎大学工学部電気電子工学科卒。大学2年次に車検代行業を始め、翌年の大学3年次には中古車販売業「オカダオート」を開業。2年足らずで閉鎖となるも、大学の研究室で出会ったコンピューターやインターネットに魅了されて猛勉強し、23歳でIT企業「スパークジャパン」を創業。同社は2001年に株式会社化され、2016年の宮崎県成長期待企業、2017年の経済産業省地域未来けん引企業に認定されるなど着実に成長を続ける。趣味はゴルフ。体を動かすことが大好きで、野球、サーフィン、トライアスロンなどあらゆるスポーツに触れてきた。最近は小学生の長男の影響で剣道にはまり、初段も取得。48歳。